誰もが成長するんだよ
さくしょうに手紙を書いた。今回は元妻から手紙がなかったので妻宛には書いていない。なぜ書いてくれなかったんだろう。いくつか思い当たる節がある。病院批判をしたこと、このブログの存在を教えたこと。もう今後一切手紙はもらえないかもしれない。それはその時考えよう。今を生きる。気にしても仕様がない。自分の課題ではなく相手の課題なのだから。
さくしょうは相変わらず元気そうだ。勉強も遊びも頑張っている。ドッジボールやキャッチボールがしたいらしい。お父さんもしたいよ。離婚なんかしなければ好きなだけできたのになぜこんな風になったのだろう。
元妻は俺が病気で不安定な状態を看病するのも辛い、俺と子供を看病、育児しながら、働くことも出来ずローン返済することは困難でお互い共依存となり、最終的に子供に迷惑がかかるから離婚すると言っていた。トリガーとなったのはやはりうちの母の言葉。そりゃそうだ。あんなこと言われれば田茂井家と縁も切りたくなるわ。俺も出来るだけ縁を細くしていっている。自分の人生を捻じ曲げられたと考えられたからだ。
自分の人生は自分で選択し、決める。それが俺のモットー。思ったようにしかならん。考えつくことしかできん。自分の考えつかないことを人の人生のまな板の上で勝手に調理されて「はい、できあがり」って言われても何も嬉しくない。やっている当の本人たちは満足感で溢れかえってるだろう。でもそれが俺にとっての重荷になっていることに気付いていない。病気のことを全く理解してくれていない。
時には腹が立つこともあるが、そこは冷静になって電話とかにもでる。本当は出たくない。
何か出来る趣味を見つけよう。週に1回ゴルフ練習に行くとか、温泉に行くとか。温泉がいいかな。またあとでネットで探してみよう。一人旅もいいかもしれないな。
魚釣りは本格的にやるにはちょっとハードルが高い。穴釣りくらいがちょうどいい。ただ、釣っても料理できないのが難点だ。
友達が欲しい。誰かに紹介してもらうか?どうしよう?自分で開拓する?どっちでもいいか。まずは趣味を見つけてそこから友達を増やしていけばいいか。
仕事復帰が緊張する。本当に仕事が出来るかどうか。どう思われているかも気になるがそれは俺ではどうしようもないことだ。自分の課題、他人の課題を切り分けて考える癖をつけておかないと自分が全部背負ってしまうことになる。失敗してもいいさ。いくらでも仕事はある。自由奔放に生きてる人もいるしこんな俺がいても悪くないさ。食べていければいい。独り暮らしだからそんな贅沢しなければ食べていけるだろう。働くことへの恐怖が大きい。罪悪感、羞恥心、焦燥感など。さくしょうが高校、大学と入るときにはある程度まとまったお金を用意してあげたい。